周辺スポット

当社が創業以来、商売を継続して来た田町駅周辺の今昔、
話題スポット等を紹介させていただきたいと思います。

落語『芝浜』の舞台

暮れの名作人情噺である芝浜ですが、噺はフィクションですが舞台となったのは、この田町駅周辺です。江戸時代には日本橋に次ぐ魚河岸があり、「本芝」と呼ばれた風光明媚な入り江だったようです。江戸前の魚を主に扱い、江戸っ子は新鮮な江戸前ものを「芝肴」として珍重したと記載が残されています。「芝海老」はまさにご当地食材で、その名の由来です。

名残としては「雑魚場橋」等の地名の他、埋め立て地に移設された御穂鹿島神社に「芝濱噺子の碑」が残されています。

「また夢にならぬよう・・」当社も真面目に業務に邁進してまいります。

寄席文字の家元、芝生まれの
橘右近が書いた「芝濱噺子の碑」

 

江戸無血開城 会見の地

江戸時代、この地には薩摩藩屋敷が立地していましたが、薩摩・長州の2藩は幕府からの長年の差別に対して不満を抱いていました。江戸幕府が終焉を迎えるころ2藩は戦争により倒幕を企てます。これを回避させたのが幕府の勝海舟と西郷隆盛による会談で、その時の会見場所が田町の薩摩藩江戸藩邸とされています。

これが「江戸無血開城」と呼ばれ、国道15号に面した三菱自動車本社ビル前には江戸開城会見の地の碑が建っています。天璋院篤姫も薩摩の出身で、江戸での最初の住まいがここだった事も知られています。

西郷隆盛の孫・西郷吉之助が書いた石碑
「江戸開城 西郷南洲 勝海舟 会見之地」

 

蒸気機関車から山手線新駅まで

山手線30番目の新駅が田町と品川の間に設置される発表がありました。東京五輪や外資系企業誘致を図る「国際戦略総合特区」の指定など、当地周辺では様々な計画が進展しつつあります。

かつて明治初期、日本初の鉄道が敷設されたのが新橋-横浜間である事は言うまでもありませんが、田町~品川間は海上に建てた堤防の上を走っていたと言う記録が残っています。近隣住人の声により、住居は高台に、鉄道と工業は海岸線にと言われたそうですが、今となっては、埋め立てが進み、駅周辺はオフィス、海岸方面にはタワーマンション等の高層ビルが次々と建設されており、商住混在での発展を見せています。

駅前再開発の一環で、当社も本社工場を移転させ跡地にオフィスビルを建設いたしました。当地に工場を構えた先人たちに感謝するとともに、引き継いだ資産を社会のために有効に活用させて行く所存です。

明治42年頃の田町駅付近
すぐ近くまで海が迫る

同上、現在。曲線は名残あり
新駅を含め大規模開発が計画